事件

野崎幸助wiki経歴|紀州のドンファン・若い頃の画像あり

紀州のドンファンこと野崎幸助さんが2018年に殺害され、2021年4月に元妻の須藤早貴容疑者が逮捕されました。

 

28日の早朝に羽田空港で逮捕され、連日世間を賑わせていますね。3年という長い年月を経てようやく逮捕へ踏み切ることができたというわけですが、そこには様々な状況を消去法で消込、徹底した捜査がったあったからのようです。

 

野崎幸助さんが須藤早貴容疑者と結婚したのは2018年のことで、結婚後わずか3カ月後に殺害されてしまうのでした。

 

生前は須藤早貴容疑者にお小遣いとして毎月100万円を渡すなどその富豪ぶりといったら日本随一です。

 

デヴィ夫人など多くの芸能人とも交友関係があった野崎幸助さんはどのような人物なのでしょうか。

 

紀州のドンファン・野崎幸助(のざきこうすけ)wikiプロフィール

 

紀州のドンファン 野崎幸助 若い頃

生年月日 1941年4月13日
没年月日(年齢) 2018年5月24日(77歳)
出身 和歌山県田辺市
仕事 酒類販売、梅干し販売、不動産、金融

 

野崎幸助さんは、77歳で亡くなりました。

 

出身は和歌山県田辺市で、77歳の時点でも田辺市で会社を経営、自宅を構えていたようです。

 

会社の主な事業内容は、酒類販売が中心で、他にも和歌山県南西部の名産として知られる梅干しの販売、不動産業や金融業など多岐に渡る事業を展開してきました。

 

拠点の中心は和歌山県田辺市ですが、長い期間東京で仕事をしてきたこともあり、毎週のペースで東京へ出張されていたそうです。

 

70歳を超えても、生涯働き続けるなんてとても尊敬できますね。

 

野崎幸助さんは「美女4000人に30億円つぎ込んで抱いてきた」と豪語しており、自称「スケベじじい」と自嘲していました。

 

あっけらかんと自分を自虐できる様子からも、野崎幸助さんの懐の深さがよくわかります。

 

多くのサラリーマンが65歳で定年退職し、悠々自適な生活を送っているなかで、70歳を過ぎても精力的に働いてき理由は、「美女を抱きたかったから」であると公言しています。

 

そんな野崎幸助さんは、生まれた時から「紀州のドンファン」と呼ばれていたわけでは当然なく、1941年に田辺氏で7人兄弟の3男として誕生されました。

 

当時は戦後間もなく、食べるものすらろくにないどんよりとした日本だったと思われます。

 

野崎幸助さんの実家は酒屋を経営しておりましたが、兄弟が7人もいるとなると家計はだいぶ厳しいモノだったそうです。

紀州のドンファン・野崎幸助(のざきこうすけ)wiki経歴

経歴の変遷
名古屋の酒造メーカー勤務
鉄くず拾い
コン〇ーム販売
金融業
酒類販売

 

最初に勤務したのは、愛知県名古屋市にある酒造メーカーだったそうですが、給料が安く重労働だったためまったくもってやりがいを見いだせなかったそうです。

 

毎日酒の瓶を洗ったり、ケースを運んだりする肉体労働に苦しんでいました。

 

そこで勤務して1年ほどで退職し、実家のある田辺市に戻り、家業を手伝いながら鉄くず広いの仕事を始めることになります。

 

「嫌だったらすぐにやめる」

 

今の時代のサラリーマンだとなかなか我慢して同じ環境にいつづけてしまいますよね。

 

自分の気持ちに素直に突き進む姿勢が素晴らしいです。

 

転職して始めた鉄くず拾いの仕事は当時需要があり、そこそこ稼げていたのだとか。

 

そしてその後、コン〇ームの訪問販売というなんともおもしろい仕事を始めます。

 

畑にコン〇ームが捨てられているのをふと見つけ、当時は流通量が少なく、薬局などでも薄暗い奥の方においてあるようなものであったことから、

 

もしかしたら自分から積極的に販売をすれば普段恥ずかしくて買えない奥様が買ってくれるかもしれない。

 

野崎幸助さんはそんなことを閃いたようです。

 

この頃から商売人としてのモノの見方があったのかもしれませんね。

 

コン〇ームを最初は漁村を一件一件あたって販売していたそうなのですが、全く売れずに困り果ててたそうです。

 

自分だったらこの時点でメンタル折れてしまいますが、野崎幸助さんはその後貧しい農村をターゲットにして見事に大成功を収めたのだとか。

 

どんどんお金が貯まるようになって、次第に北新地の高級クラブにも顔を出すようになったそうです。

 

まさに自分の腕一つでのし上がっていっている感じがしますね。